コンテナ輸送の歴史について!
コンテナ輸送の歴史について動画で解説
10分16秒の動画解説やで!
今回は、「コンテナ輸送の歴史」についてお話をしていきたいと思います。
マルク・レビンソン氏著「コンテナ物語 THE BOX」
今回のお話をさせて頂くにあたり、参考にした本があります。それはマルク・レビンソン氏著の「コンテナ物語 THE BOX」です。貿易や物流に携わっている方に是非読んで頂きたい一冊です。
コンテナ導入はいつから?
コンテナが導入されたのはいつからだと思いますか?50年前でしょうか、100年前でしょうか。
初めてコンテナが導入されたのは1956年4月26日、アメリカの東海岸ニューアーク港からヒューストンまで58個のアルミコンテナが運ばれました。
コンテナ輸送の前は?
では、このコンテナ輸送が行われる前はどのように貨物が運ばれていたのでしょうか。
まず当時の海上輸送は沖仲仕(おきなかし)と呼ばれる人達が人力で積込・積卸をしていました。
この沖仲仕の仕事は とにかくキツくて危険な肉体労働です。彼らは手作業で50キロ~60キロのコーヒー豆や砂糖の袋の荷役をします。
彼らは波止場の近くに住んでいて、朝になると港に行って斡旋業者から仕事を貰いながら 日雇いの雇用形態で船の荷役の仕事をしていました。
当時の輸送費用はどういう感じでしょうか?
海上費用の内訳は、半分が沖仲仕の賃金と言われています。
良くない労使関係
また労使関係もあまり良くありませんでした。
港で仕事を斡旋する業者は、とにかく人件費をカットしようとしますし、二交代制にして効率化をしようと考えました。
しかし沖仲仕たちはそれに対して、猛反発をします。
労働組合がありストを起こし長時間の休憩をとり更に盗難も発生していました。
この問題をどうにかしようと港の人たちも考えていたけれど、なかなか上手くいきませんでした。
マルコム・マクリーンの功績
そこで港の問題を解決に導いた人がいます。それがマルコム・マクリーンです。
マルコム・マクリーンは起業家で、最初はトラックドライバーでした。
彼がある時トラックで貨物を運んでいる時「トラックをそのまま船に乗せたら荷役の問題が解決できるのではないか」と思いつきます。
彼はトラック会社の経営で大きな利益を得ていたので、その利益で船会社を買収して自分の船でコンテナ化を進めていきました。
そして世界で初めてコンテナが導入されることになります。上述したように1956年の4月にマルコム・マクリーンは初めてのコンテナ輸送を世に送り出しました。
初めてのコンテナ輸送の費用
お伝えしましたが、当時の海上輸送では50%が沖仲士の賃金でした。
そして、この初めてのコンテナ輸送の費用は とてもインパクトのあるものでした。
1956年代に貨物の積込費用は1トン当たり5.8ドルでした。これは中型船に沖仲仕が荷役する場合の費用です。
そしてマルコム・マクリーンの開発したコンテナ荷役では、1トン当たり15セントになりました。
とても大きなコスト削減になりました。
荷役時間の短縮
またコンテナ化により荷役時間が大幅に短縮されました。
沖仲仕の荷役では船が港に停泊して1週間かけて貨物の積込・積卸をしていました。コンテナ化が初めて行われた時は7分間で1個のコンテナが積込・積卸され、8時間で船の荷役が完了しました。
コンテナ化の浸透
コンテナ化されると効率が上がりますが、すぐには浸透していきませんでした。
アメリカでマクリーンともう一つの会社がコンテナ化を進めましたが、他の船会社たちはなかなか進めることは出来ませんでした。
なぜか?船会社は保守的な会社が多くコンテナ化を進めるにあたって以下の3つの問題がありました。
①新しく船を導入する
②コンテナが乗せられるように改造する
③コンテナを沢山作る必要がある
このように大きな初期費用が最初に掛かることから、コンテナ化はなかなか普及しませんでした。
しかし、中にはコンテナ化を進めていく会社もありましたが、沖仲仕に猛反発されて結局コンテナを使えず、投資がたたって赤字や倒産した会社もありました。
コンテナ化浸透のきっかけ
では、このコンテナ化がどうやって浸透していったのか?そのきっかけとなったのがベトナム戦争です。
ベトナム戦争は当初ベトナムとフランスの対立でしたが、フランスが撤退して、ベトナムの北部と南部の対立になりました。
そしてベトナムの北部ではホーチミン(人名)が社会主義を広めようと率いていました。
一方アメリカでは社会主義の広がりを懸念しており、1965年にアメリカがベトナム戦争に参入していきます。
ベトナム戦争でアメリカの兵士が最終的には約54万人がベトナムに送られました。でも最初の約6万人近くがベトナムに送られた時点で、当時の物流方法では戦争の継続など不可能だと気づいたと言われています。
ベトナムの南のサイゴン港という所では、そこの水深が非常に浅くて貨物船が沿岸に近づけませんでした。
そこで筏(いかだ)や水陸両用の戦車を使って、沖に浮かんでいる船まで移動し そこで積卸をしていました。
非常に非効率でした。
しかも貨物管理も出来ておらず貨物が野ざらしにされ、どこの軍隊の物かわからない状態でした。そのため、なかなか貨物が到着しないために盗難もあったようです。
その盗難対策として船が倉庫として使われていたため、最大で約74隻が貨物満載の状態で沖に浮いているという状態でした。
マルコム・マクリーンのコンテナ輸送の手配
そういう物資が届かない状態で戦争は続けられないので、なんとかこの物流を解決しないといけない、そういう状態で解決に導いたのがマルコム・マクリーンです。
マクリーンはベトナム戦争の様子が写真で報道されているのを見て、アメリカの海軍大将へ直訴しに行き、何とかコンテナ輸送の手配にこぎつけます。
この時には港も改築され水深が深くなっており、コンテナで物を運べるようになっています。そして生鮮食品や肉、アイスクリームまでも運ばれるようになるほど物流が改善したのです。
そしてマクリーンはコンピューターを導入していたので、この貨物が誰の所に行くべきかとしっかり管理し、正確に物を届けるということが出来ていました。
このベトナム戦争以降、これまで沖仲仕たちが反発して導入が進まなかったコンテナ化が進んでいく事になります。
コンテナ化が進んだ後は?
そしてコンテナ化が進むと、次に船や港、会社までが巨大化していきます。
コンテナ輸送が始まった時は58個のコンテナしか運べなかった船が、今では2万TEUという20フィートコンテナなら2万個運べる船があります。
そして資本の面で大きい会社は生き残り投資を進め 船を大きくしていき、一方で小さい会社はどんどん潰れていきます。
巨大化した船会社は70%〜80%の積載量がないと赤字になるので、船会社は貨物を必死で集めるようになります。
価格競争の始まり
貨物を集めようとすると船会社の間で熾烈な価格競争が始まります。
荷主にとっては当然費用が重要なため、とにかく貨物を一番安く運べるところで運ぼうとします。
そのため船会社では熾烈な価格競争が続いていました。最近では2016年に大手の韓国系の船会社が倒産してしまったという例もあります。
コンテナリゼーションの今後
徹底した効率化を進めてきたコンテナリゼーションですが、これからどうなっていくのでしょうか?
現状から考えるとガントリークレーンの遠隔操作やターミナルの荷役が自動運転になり無人化されるでしょう。
しかし、64年かけて積み上げてきたコンテナ化の仕組みがすぐに無くなるとは思いません。
コンテナというハード面は変わらずに、IT化やサービスへのソフト面が変わっていくと予想しています。
私はフォワーダーというポジションで活動していますが、時代に合わせた経営の舵取りをしないとフォワーダーも生き残るのが難しく、これからは柔軟性が求められる時代だと思います。
まとめ
今回ご説明したコンテナの歴史はいかがだったでしょうか。このような海上輸送の歴史背景を知ると、より国際物流に興味を持って頂けると思っています。この他にも物流に関するお話を随時更新していきます。
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